何もわかってないくせにと言われるのが目に見えて

何もわかってないくせにと言われるのが目に見えて、たくさんの疑問を内側に溜めこんでいる自分がいる。

1940年、この年が初代天皇である神武天皇の即位2600年にあたるとされたことから、日本政府はいかに神の国日本が長い歴史を持つ偉大な国であるかを国内外に示す為、また日中戦争で疲弊しつつある国民感情を再度高揚させ、統一させる為、神武天皇を祀る橿原神宮を中心に全国各地の神社で盛大な祭りや、展覧会・体育祭といった行事が行われた。
このような話や学校で習う特攻隊や天皇崇拝教育を行っていたということを聞くと恐ろしい時代があったんだと感じる。

しかし、れを否定するが故に、なんでもかんでも日本は素晴らしいとする考えまでも全て否定し、すぐに右翼だの保守だの、危ない考えと見なす人がいるのは不思議。
ある日、寿司屋の店主から、「今の若いもんはこういうのを読まないといけない」と一冊の本を借りた。
渡部昭一の「かくて歴史は始まる」である。
彼は冒頭でオーウェン・バーフィールドという言語学者の「歴史というものは虹のようなものである」という一節を取り上げ、著作の中で日本の歴史の一つの虹を描こうと試みている。

「日本という虹」は、日本初代天皇・神武天皇即位から2600年を記念して発行された切手。全国各地で盛大に祝われた。
ちなみに、今日本で人気のある切手といえば中国切手だ。

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奉天は、歴史の中で本当に大きな意味を持つ都市である。
満州の中心に位置するこの都市は、歴史の中で満蒙漢民族によって争奪が繰り返された。

一時期、高句麗が征服するが、唐の太宗が東征した時、安東都護府が置かれ瀋州と名付けられた。
時代が下って、元朝期に瀋陽と名を変え、明朝期には瀋陽中衛が設置されて満州の護りとなった。
そして清朝の時代に至り、国家の首都となり名を盛京と改めた。

その意味は、満州語で勃興を表す「ムクデン」に由来しており、1644年に北京へ遷都するまでの18年間、盛京は国家の中心であった。
その後、1653年から奉天の名前で呼ばれるようになった。

奉天には、清の前身である満州族の国家・後金の建国者ヌルハチを祀る東陵、二代ホンタイジを祀る北陵が造営され、清国にとって最重要の都市の一つであった。
奉天を中心とする満州は、長らく異民族(漢民族)に対して閉鎖されていたが、19世紀末にロシア帝国が南下し始めると、この地域における禁地政策は解除されて、急速に中国化されていった。

そこにおいて、清朝の故地である奉天は軍事・行政・経済の中心として繁栄した。
ロシアがシベリア鉄道を建設し、遼東半島への南部支線が完成すると奉天は中央の年として、ますます重要度を高めた。